浦和レッズブラジル人伝説【史上最も愛されたのは?】

レッズ ブラジル人選手2 Jリーグ

どうも浦和レッズを応援していますバモスアオブラジルです。

とはいうものの私自身レッズサポーター歴3年のペーペーなので、昔の浦和レッズの事を実はよく知らないんです。

という訳で過去に浦和レッズに在籍していたブラジル人選手の中で誰が人気があるのか?というのが気になっていました。

そこで先日Twitterでこのようなアンケートを実施させて頂きました↓

回答して頂いたフォロワーの皆様どうもありがとうございました。

3つのアンケートを集計したところこのような結果になりました↓

順位 名前 獲得票数
1位 ネネ 140 17.7%
2位 マルシオ・リシャルデス 129 16.3%
3位 エジミウソン 93 11.8%
4位 アジエル 90 11.4%
5位 アドリアーノ 78 9.9%
6位 トゥット 76 9.6%
7位 トニーニョ 58 7.3%
8位 ポポ 53 6.7%
9位 ドニゼッチ 28 3.5%
10位 マゾーラ 28 3.5%
11位 エジムンド 10 1.3%
12位 アリソン 7 0.9%

なるほど、これでどの選手が最もレッズサポに愛されていたかがよくわかりました!

なお今回下記の人たちは投票から除外しました↓投票しなくても人気があるのはわかるので。

レッズブラジル人選手

・ラファエル・シルバ=ACL優勝
・ポンテ=MVP
・エメルソンとワシントン=得点王

併せて読みたい↓

浦和エメルソン伝説【誕生秘話!トイレもなかった極貧環境】
エメルソンと言えば、レッズのクラブ史上最高の助っ人との呼び声の高いブラジル人選手でした。 ブラジルではエメルソン・シェイキとして知られています。 シェイキ(Sheik)とは、アラブ圏の部族の長老、首長、賢人、知識人を意味するアラビア語で 要するにカタールへ行ってひと稼ぎしたエメルソンはブラジル国民からこう呼ばれるようになりました。 浦和在籍時にはオフシーズンになるとブラジルへ帰国しそのまま音信不通になるのが通例なエメルソンに対しエメまだ?はレッズの春の季語となりました。

それと三都主や闘莉王も日本人枠ということで、今回はランクインから除外しました↓

三都主 闘莉王

という訳で、過去に浦和に在籍していたブラジル人選手たちについて、自身の勉強も含めて詳細をまとめてみましたのでご覧ください☆

ネネ

ネネ

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2004年 33 10 1 2 0 3 0 15 1
2005年 5 10 1 0 0 0 0 10 1
2006年 5 9 0 0 0 4 0 13 0
2007年 5 12 2 0 0 1 0 13 0

2004年から加入。闘莉王やアルパイらと強固なDFラインを形成し4シーズンに渡り浦和の黄金期を支えました。

その人気の高さから守りの安定感が伺えます。

どういう経歴の持ち主だったかというと、91年にU17の世界選手権に出場しベスト8までいってます。ちなみに当時のチームメイトには後述のアドリアーノや元セレッソのペリクレス、元ヴェルティのアルジェウらがいました。特にアドリアーノはこの大会で実は得点王にもなっています。

99年にはコリンチャンスでプレー。当時オズワルド・オリヴェイラ監督に指導を受けていました。

同監督の絶対的信頼の基、レギュラーとしてプレー。その結果48試合/8ゴールというDFとしては最多得点を決めています。

次なる新天地グレミオでも2000年に州選手権で優勝、2001年にブラジル杯でも優勝を経験しています。

特におもしろいエピソードはありませんが、とりあえずすごいキャリアを持った選手でした。

フォロワー様の声↓

トゥットも良い選手だけど、ネネちゃんだな〜♫ 打点の高い、身体をくの字にしたヘッドは魅力だったね〜 怪我もあったけど、数年頑張ってくれたよね。

マルシオ・リシャルデス

マルシオリシャルデス

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2011年 10 30 3 5 1 2 1 37 5
2012年 10 31 9 2 1 1 0 34 10
2013年 10 26 5 4 0 1 1 31 6
2014年 10 11 0 1 0 1 0 13 0

新潟のエースストライカーだったマルシオ・リシャルデスに対し、浦和はずっとラブコールを送り続け1年越のオファーの末、完全移籍を実現させました!

浦和ではトータル115試合/21ゴールを記録し、外国人選手の中では数少ない100試合超えした選手となりました。

特筆すべきは2012年でミハイロ・ペトロヴィッチ監督指揮下でチーム得点王となる9得点を挙げ、リーグ3位となり、AFC出場権獲得に大きく貢献しました。

2014年最後のシーズンでは、ケガの影響により本来の力を発揮することができず、惜しまれながら浦和でサッカー選手としてのキャリアを終了。

ストライカーでありながらプレースキックも得意としており、前所属の新潟時代にはPK、フリーキック、コーナーキック直接ゴールと、全てセットプレーによるハットトリック達成という伝説も残しています。

初めて観に行った試合が12年の神戸戦。そこでマルシオ・リシャルデスの直接FK観て好きになったんで思い入れあります!!

エジミウソン

エジミウソン

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2008年 17 31 11  6  3  2  0 39 14
2009年 17 33 17  7  3 1 0 41 20
2010年 17 34 16 6 2 4 3 44 21
2011年 9 12 3 1 1 0 0 13 4

浦和には4シーズン在籍しトータルの成績は137試合/59ゴール、また新潟時代からカウントして、当時7シーズン連続2桁得点という記録も持っていました。(2019年に興梠が更新)

J屈指のストライカーとして日本通算でも236試合/111ゴールという、柳沢(QBK)をも上回る記録を持っています。

結局は”チーム事情”により中東へ売られる形で浦和とはお別れすることになってしまいましたが、カタール移籍は日経新聞にも記事になっていました。

結果こそ残したものの、印象的なシーンが少なかったことが、エメルソン、ワシントンほど浦和サポーターの心を掴み切れなかった要因でしょうか↓

エジミウソンは実際得点率やゴール数だけを見ればエメやワシントンとあまり変わらない印象はあるんですけど下位相手に固め打ちが多くて試合を決めるようなゴールがあまりなかったのとやはりクラブとしてタイトルが獲れなかったことでサポーターからの評価を下げてしまっている、と感じます

エジだな〜
1番安定してたと思うし、何よりもレッズを愛してくれていたからね♫
最後も可愛そうだったよね…

アジエル

アジエル

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2001年 35 10 2  0  0  4 1 14 3

前述のエジミウソンとは対照的に、僅か1シーズンの在籍(しかもJ2)ながら、レッズサポに強烈なインパクトを残し愛されたのがアジエルでした↓

アジエルが浦和を救ってくれた。

この中だとやはりアジエルかな.. J1復帰に黄信号が灯ってくる中で直接対決の大分戦でのゴールや最終戦の鳥栖戦の先制ゴールは印象深いです

アジエルに一票 J2脱出ん時に助けられたのと、湘南に行ってから怪我やらなんやらでついに闘えなかったのが残念だったのと。

ポンテかな。アジエルも。。。

WIKIを見ると浦和に来る前はサントスでもかなり期待されていた若手だったようです。なぜJ2だった浦和に?

ブラジル代表としてU17世界選手権にも出場しており、この時はチームメイトにロナウジーニョがいました。

最近、当時のアジエルとロナウジーニョのあるマヌケなツーショットがブラジルで話題となっておりました。

見るとアジエルがロナウジーニョと肩を組んでいるが、その手に握られているのは銃!?

アジエルとロナウジーニョ

銃は滞在先のパラグアイで購入したものでありもちろんオモチャです。二人は相当仲良しだったそうですよ笑

アドリアーノ

アドリアーノ

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2001年 10 22 6  3  1  0 0 25 7

91年のU17世界選手権得点王(4ゴール)、さらに93年のワールドユースでも得点王(3ゴール)およびMVPを獲得。素晴らしい経歴を持ったブラジルの若手有望株でした。

背番号10を託され、期待されて浦和に入団するものの、22試合/6ゴールという微妙な成績だけを残し、戦力外通告により僅か1年で退団。

引退後の現在は兄弟と共にサンパウロの田舎でサッカークラブを経営しているようです。

1シーズン持たなかったけどあえてアドリアーノ。

トゥット

レッズ ブラジル人選手2

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2001年 11 24 8  4  4  4  2 32 14
2002年 11 23 9  8  5 1 0 32 14

トゥットというのは愛称で、本名はLivonir Ruschel。おそらくヨーロッパ移民でしょう。

日本では8シーズンという長きに渡りプレーしましたが、残念ながら浦和では、川崎/FC東京時代ような全盛期の輝きを放つことはできませんでした。

浦和を退団した後は母国ブラジルへ戻りポンチプレッタでプレーしましたが、そこではチームのシーズン得点王となっております。しかし2部に降格してしまった為その後イスラエルへ移籍

プレーにおいては強烈なインパクトを残すことはできなかったものの、ミッキーマウスのテーマを原曲とした応援歌が神チャントとして今もサポーターの記憶に深く刻まれています

トゥットは何はなくともあのチャントだけでも歴史に名を刻める気がする。もちろんあの大きさ、強さ、速さは印象的でしたが。

おまえのゴールで俺たちを〜踊らせてくれよトゥットトゥットゴール〜♪

トニーニョ

トニーニョ

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
1995年 25 11 0 0 0 0 25 11
1995年 26 6 0 0 2 0 28 6

本名はアントニオさん。あだ名でトニー、トニーと呼ばれていたが、小さかったのでトニーニョになりました(想像)

トニーニョと言えば、個人的にはJリーグ元年から清水で活躍していたブラジル人という印象が強いですが、彼を語る中でやはり出てくるのがスポンサーのエピソードですね↓

トニーニョはゴールパフォを飛行機から車にした男前!

元々は清水でJALに気を使って飛行機でしたけど、レッズでは車でした(笑)

他にもこのような声もありました↓

アジエルかトニーニョで迷って、ゴールパフォでトニーニョかな〜
ドニゼッチとアドリアーノは1シーズン保たなかったからね〜σ(^_^;)

経歴について調べていたところ、実はこの人ブラジル代表で1試合だけ出場してるんですね。

ポポ

ポポ

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2012年 16 21 3  3  0  3 3 27 5

母国ブラジルよりも海外でプレーしてた期間の方が長い選手でした。

しかもブラジルで所属していたチームもビッグクラブではなかった為、全く情報がなく、素性がわかりません。柏はどうやって見つけたんだろう?

キャリアの中でも日本は一番長く、2008年に初来日して以来、柏、神戸、浦和、磐田と計6年間も滞在しました。

中でも一番活躍したのは神戸なんですね。浦和は僅か1年の在籍で存在感はやや薄の感じです。

ドニゼッチ

ドニゼッチ

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2001年 7 0  0  0  2 1 9 1

ドニゼッチと名前も言いたくない元ブラジル代表以外は、皆さんが今でも大好きです

↑とまあドニゼッチが最も浦和サポから人気がなかったブラジル人助っ人である事はよくわかりました。

そして浦和を退団した際のエピソードで興味深い記事を発見しました。

当時ブラジルのヴァスコ・ダ・ガマがフィジカルが強くて足元が上手いボランチを探していたそうです。

そこでドニゼッチの獲得を熱望したのはなんとあのロマーリオでした!

ロマーリオは当時チームの中心選手としてプレーしており、ドニゼッチの連絡先を監督に渡します。

監督が電話をしてきて、お前は日本でいくら貰っているんだ?と聞いてきたんだ。当時私は十分な給料をもらっていた。しかも通訳付きという好待遇だ。そこで希望の金額を言ったんだ。それでヴァスコがブラジルへ引き戻してくれる金を用意してくれたって事さ。

いや~ロマーリオと言えばブラジルでは史上3本の指に入る程のストライカーですが、その彼にも認められるほどの実力はあったのですね。

ちなみに彼のブラジル代表7キャップというのは

90年のペレ生誕50年記念の親善試合ブラジルVS世界選抜の試合、91年に数試合。

それと00年に日韓W杯予選にヴェネズエラ戦(6-0でブラジルが勝利)という事がわかりました。

マゾーラ

マゾーラ

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2011年 29 21 3  3  0  2 1 26 4

柱谷兄が見つけてきたブラジル人FW

サンパウロではブラジルの名将ムリシー・ハマーリョに見出された天才でした。ムリシー・ハマーリョとはかつてネイマールをも指揮したことのあるブラジルサッカー界の重鎮です。

浦和入団前はクラブから”抜群のスピードと突破力を誇る左利きのアタッカー。周囲を生かしてチャンスメイクもでき、勝利へのすさまじい執念も併せ持つ”とすごくポジティブに紹介されておりましたが、結局はチームにフィットせず空回りして終了。ガッカリ助っ人として終わりました。

でも岡田武史監督はそのポテンシャルを認めていたようで、浦和退団後は自分が監督をしている中国の杭州緑城 へ連れて行きました(という理解であってる?)

エジムンド

エジムンド

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2003年 0 0  2  0  0 0 2 0

間違いなく知名度や期待度ではレッズの外国人助っ人史上の中でNo1だと思うのですが、オフト監督と意見が合わず結局カップ戦2試合出場したのみでブラジルへ帰国してしまいました。。。。

ってな訳でブーイングのコメントが多かったです笑

人気ではなく「記憶に残る」なら間違いなくエジムンドなんだけど・・・w

記憶からも消し去りたいですw

エジムンドって試合出ましたっけ…
ナビ杯ちょっとだけ出たか…
浦和に移籍って事で、開幕前サッカー雑誌の表紙総ナメにしてたのに、カーニバルで帰っちゃうんだもんな…

彼が突然退団してくれた事が、2003の飛躍に繋がったと考えれば、逆に感謝です

エジムンド.. 実際にリーグ開幕前のナビスコでプレーを見たのは貴重でした
それも確か1試合は磐田との鹿児島(!)での試合だったはずです..

エジムンドの退団は、前年ヴェルディでも大活躍していただけに本当に残念でした。

日本滞在はたった2シーズンのみでしたが、彼の愛称であるアニマルの名の如くAVの撮影現場に乱入事件などピッチ外でも暴れまくってくれました!

アリソン

アリソン

背番号 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 通算
出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール 出場 ゴール
2001年 37 6 2  0  0  4  2 10 4
2002年 15 13 1  5  2 0 0 18 3

日本では、サンパウロのユース時代にカカーと共にプレーしたと紹介されてますが

いやいや、ブラジルでは”カカをベンチへ置いた男”として書かれています。まあカカより若干先輩だしね。

21歳という若さで早くから国外へ出たことについては実は理由があったようです。

家族を養う必要があったと。実は彼の父親は当時、肝臓の移植手術を行わなければならず、とにかくお金が必要でした。故にオファーを選んでいられない立場だったと語っています。

本職はボランチで日本を出た後はポルトガルのUDレイリアなどでプレー。その際はマエストロと呼ばれていたそう

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