エメルソンと言えば、レッズのクラブ史上最高の助っ人との呼び声の高いブラジル人選手でした。
ブラジルではエメルソン・シェイキとして知られています。
シェイキ(Sheik)とは、アラブ圏の部族の長老、首長、賢人、知識人を意味するアラビア語で
要するにカタールへ行ってひと稼ぎしたエメルソンはブラジル国民からこう呼ばれるようになりました。
浦和在籍時にはオフシーズンになるとブラジルへ帰国しそのまま音信不通になるのが通例なエメルソンに対しエメまだ?はレッズの春の季語となりました。
しかし将来は日本に帰化したいとも言っていた矢先、2005年にはとうとうクラブに戻ってこなくて
住んでいた部屋をスタッフが見に行くと、部屋は散らかり放題、飼い犬は放ったらかしという最悪な状態だったそうです。
今回はJリーグ史上の中でもウルトラ問題児であった、エメルソンのルーツについて調べてみました。
俺は行動する事、頭に浮かんだ事。やりたい事、正しいと思った事を口にする。クソみたいな社交辞令はやらない
本名はエメルソンではなく、マルシオ・パッソス・デ・アウブケルケ(Marcio Passos de Albuquerque)
1981年9月6日生まれではなく、正しくは1978年12月6日生まれ
エメルソンが出生届を偽造して逮捕されたことは有名な話です。
ブラジルでは年齢をごまかしている選手の事を”Gato”と呼びますが、ここだけの話エメルソンがGatoだった事は日本にいた時から結構一部で有名でした。
当時浦和の通訳をしていたバリさんとかマルシオは絶対知っていたと思う。。。ひょっとしたら闘莉王も。。
ちなみに元ブラジル代表のロナウドも、生まれた日は9月22日となっていますが、親父が届け出を出すのが遅れて実際に生まれたのは何日か早いらしいです。
そういうメチャメチャな国なんです。ブラジルというところは。
という訳で、エメルソンはそんなメチャメチャな国のリオデジャネイロにあるノーヴァ・イグアス(Nova Iguaçu)という街で生まれました。
リオの中でやばいファベーラがあるところで有名ですね。
スラムの街で、母親のカルメン(Carmem)さんと、二人の兄妹クラウディオ(Claudio)とリディア(Lígia)と共に暮らしていました。
当時周りからはマルシーニョと呼ばれていたそうです。小さいマルシオという意味ですね。
住んでいた家についてはインタビューでこのように語っています↓
ほぼ学校とストリートで過ごしていた。家にいる意味ってある?家の中には何もなかったよ。粗末なソファにクッションがあるあばら家だった。薄いマットレスにみんな一緒に寝てね。床じゃなくて土。トイレさえなかったよ。
着るものは唯一学校へ行くためにユニフォームだけ。サンダルをゴールポストにして、人形の頭をボールにしてストリートサッカーをしていて遊んでいたそうです。
さすがに日本にはこのような境遇で育ったJリーガーはいないですよね。
やがて大きくなると左官職人であった養父のお手伝いをするようになります。
その傍らパン屋でもアルバイトを始めますが、居眠りやつまみ食いによりソッコウクビになりました。
彼にとって最も手っ取り早く金を稼ぐ方法はクスリの売買だったといいます。
犯罪に手を染めた4,5人の仲間は亡くなったそうです。しかしエメルソンは誓って決して手は染めていないとのこと
母親はいつも朝早く出かけて夜に帰ってきた。俺たち子供はいつも放置されていたが幸いみんな道を間違わずに済んだ。あのスラムの世界が自分んにとっての日常なのさ。一度も興味を持ったことはないけどね。
そしてエメルソンが14歳の時に転機が訪れます。
兄のクラウディオにサンパウロへの入団テストへ連れていかれることになりました。
この時エメルソンは、プロのサッカー選手になるという気持ちはさらさらなかったのですが、サンパウロへ行けば食べるものも寝るところも保証されている、という理由だけでテストを受けたとインタビューで語っております。
冗談ぬきのガチでベッドで眠ることが夢だったそうです。
そしてなんと400人の子供の中で唯一の合格者となりました(年齢詐称の為、周りの子供たちより3歳年上)
戦いを恐れたことはない。いつ流れ弾に当たるか、泥棒が警察から逃げて勝手に家に入ってくるようなファヴェーラでの生活の方が怖かった。
インタビューの内容をみると、この時に母親が出生届を偽造したようです。
やがてサンパウロのユースに加入し収入を得るようになると、十分な給料ではなかったとは言え、故郷のNova Iguaçuに母親の為に家を建てなおしました。
そこでようやく実家にトイレと床ができたのです。
私生活について、エメルソンの青春には、恋愛はなかったが情事はありました。
98年、エメルソンが二十歳の時に長男Kevinが誕生しています。奥さんは誰かしら?
そしてサンパウロにいる間、実父のAladirと再会するという感動的な出来事もありました。
実父は他の女と生活するために妻と3人の幼い子を捨てた人でした。
エメルソンは実父に対し憎しみに感情どころか逆に意気投合して、後に一緒にクラブへ行くまでの仲になったそうです笑
しかし実父は99年、エメルソンがU20のブラジル代表の試合でポルトガルにいる間に亡くなり、エメルソンが訃報をきいた時には既に埋葬されていたと言います。
素行不良でチームが手を焼いていた問題児エメルソンを引き取ったのはコンサドーレ札幌でした。
当時の岡田武史監督がエメルソンのプレー映像に目を付けそのまま獲得オファーを出したと言われています。
日本には合計5年間在籍していましたが、この間エメルソンの中で下記のような変化があったと語っています↓
お金を稼ぎ、インタビューで本当の自分を表現できない恐れがモチベーションとなり多くの事を学んだ。妻のThaiseの影響により本もよく読むようになったね。
という訳で我々が知らなかった浦和に来る前のエメルソンの生い立ちについて紹介しました。
あのような破天荒なキャラクターはえげつない環境下で形成されたのですね。
ブラジルのサッカー選手にはこのような貧困層から育った選手がたくさんいますが、彼らはマジでハングリーです。そりゃあ必死になってサッカーで成功します☆
おまけで、ブラジルサッカー界の現実がわかる動画↓
ここからはブラジルでも有名な、超問題児のエメルソンの伝説を紹介したいと思います☆
飼っちゃいけないサルを飼い始める
みんな犬や猫やオウムを飼っていて幸せだ。俺はサルを飼う。安くて最高だ
こう言いだし2011年に急にサルを飼い始めました。サルはCutaと名付けれられ実の息子のようにかわいがられて育てられました。
しかし飼ったサルが問題だった!サルは”オマキザル”という絶滅危惧種で、これの売買が法的に問題なかったのか?ブラジルの環境省から調査が入りましたが、結局はシロに。。。。
今はどうしてるのかな?
高級車を違法で輸入して仲間に訴えられる
2010年に米国から高級車BMW X6を購入しました。
新車として購入したのですが、実はこの車”新古車”でした。
税務局から逃れる為にステータスを偽って請求書を偽造したのです。もはや詐欺師ですね。
エメルソンは以前にもシボレーのカマロを輸入した事があり、その経験から高級車輸入の際の法の抜け穴を知っていたのではないかと言われています。
そしてこの車を買わされたフルミネンセの同僚ジギーニョ(Diguinho)から2013年に訴えられます。
結局エメルソンが敗訴。2017年に裁判所からR$ 466,000(約1400万円)の支払いを命じられることに。
カメラの前で公然批判
2014年ボタフォゴに所属していた時
対バイーア戦で2枚目の警告で退場
そしてピッチの去り際にカメラに向かって、”Você é uma vergonha”と連呼↓
まあ、ブラジルではやんちゃな選手がカメラの前でこういう事をするのは珍しい事ではなく、昔ならばロマーリオ先生やエジムンドあたりもよくやっていましたね
ちなみにエメルソンはフラメンゴ時代にも試合後のインタビューで、まずはあのクソ審判を変えなきゃ駄目だ!とキレたことがブラジルでは伝説の動画となっています↓
ライバルチームの歌をノリで歌ってチームをクビに
フルミネンセ時代にリベルタドーレス杯を戦っていた時の事。
バスの中でライバルチームの歌をノリで歌ってしましました。
ライバルチームとはより前所属チームであり因縁の相手でもあるフラメンゴでした。
この事がクラブの幹部の耳に入るとフロントは大激怒!
そっこうでクラブを追い出される事となり、リベルタドーレス決勝戦後、アルゼンチンの空港へ向かう為ホテルのキッチンから逃げるようにしてチームを離脱しました。
履く靴すらなかったのでチームメイトからスニーカーを借りたと言います。
友人とキスしてホモ疑惑浮上
2013年8月に、自身のインスタに友人のIzacさんとキスしている写真を投稿↓
場所はサンパウロにあるレストランParis 6だそうです。何考えて生きてるんでしょうね?
この写真を投稿した意図は不明ですが、ホモとかオカマ系にうるさいブラジル国でこれがとんでもない騒動に!
ついにはコリンチャンスのサポーターが練習場まで講義する騒ぎに発展しました。
最後にエメルソン誕生秘話のまとめ動画を↓
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