ロマーリオと言えば90年代に活躍したブラジルが生んだ史上最高のストライカーの一人ですが、一方ではブラジル史上最悪の問題としても有名です。
そんなロマーリオの仰天エピソード伝説を日本一詳しく紹介します。
シメオネの顔面に左ストレートをお見舞い
事件は94年1月にカンプノウで行われたバルセロナVSセビージャの試合に起きました。
アルゼンチン代表のシメオネのハードマークにブチ切れて、とうとう試合中がまんできずに左ストレートをかまします!
その決定的瞬間とその後のインタビューがこちら↓
ロマーリオ反省というか、全く悪びれる様子ありません笑
実はこの前の週に行われたレアルとのクラシコでロマーリオは大量5点のうち3得点を挙げる大活躍をしていました。
しかし試合後カーニバルで遊びたいという理由でブラジルへ帰国。
セビージャ戦は休暇明けということでベンチスタートだった訳なのです。
ちなみに当時のことをクライフ監督はインタビューで下記のように語っている
ある日彼が私にブラジルへ戻る為に2日間練習を休んでいいか聞いてきたことがある。それはリオのカーニバルの為だったんだろうね。私はこう答えた。もし明日の試合で2ゴール決めたらお前に通常のオフと合わせて2日間の休みを与えるとね
翌日彼は20分で2ゴールを決め、直後に私に交代の合図を送ったんだ。そしてこう言ったんだ”監督、俺の飛行機あと1時間以内で出発するから”
試合中チームメイトに対してブチ切れ
これは2002年にモルンビースタジアムで行われたサンパウロVSフルミネンセの試合。
ちんたらプレーしていたチームメイトのAndrei Frascarelliがロマーリオがドつくシーンをカメラがしっかりととらえた!
これに動揺してしまったこの選手は終始思い通りのプレーができず、結果サンパウロに6-0という歴史的敗北を喫することとなりました。
この出来事によりその後ロマーリオはスポーツ裁判所により40%の減給処分となったそう。
ちなみに試合後のインタビューは
Tu é surdo ou cego, não sei. Tu é cego?(盲目かつんぼか知らんが。お前は盲目か?)と公の場でかなりきつい言い方してます。。。。。。
カカとかなら絶対言わない
ザガロとジーコの恥ずかしい絵をお店に飾る
98年ワールドカップの大会直前に、ロマーリオはケガの為代表メンバーから外されてしまいます。
これには当時テクニカルコーディネーターを務めていたジーコのザガロ監督への進言があったと言われている。
この事実をきいたロマーリオはインタビューに対し、「ジーコ?誰だそいつは?」
しかしロマーリオの腹の中は収まっていなかった。
なぜなら実際ロマーリオは98年の決勝の前にピッチに復帰できたのだから!
そして代表落選のはらいせに、トイレで用を足しているザガロ、そして紙をもって待っているジーコの絵を描いて自身が経営するナイトクラブCafe do Golに飾ったのだ。
ザガロやジーコはお店のオープニングセレモニーに招待されたがもちろん姿を現さず。
後にジーコに訴えられて敗訴。ザガロにも裁判で完敗。
かなりの額の罰金を支払ったと記憶してます。
せっかくオープンしたお店Cafe do Golも無事廃業\(^o^)/
カメラの前でサポーターをボコる
ロマーリオがフルミネンセに所属していた時
当時チームは24チーム中23位という2部降格の危機に瀕していました。
にも関わらずバーベキューやナイトクラブで遊びまくる選手たちにサポーターの不満は溜まっておりました。
そして練習中に選手に対してヤジを飛ばすサポーターとロマーリオが口論に
途中ロマーリオは練習を完全に無視してケンカしに行ってます。(動画2:55から)
更にその翌日サポーターはとうとうフルミネンセの練習場に6羽のニワトリさんを放ってしまいます。
ニワトリはブラジルでは弱虫の象徴なのです。
これに切れたロマーリオは、トレーニング後着替えを終えてから観客席に殴り込み
フルミネンセサポーターの青年はカメラの前でボコボコにされてしまいました。
この件によりロマーリオはおよそ3万レアル(当時150万円くらい)の罰金を支払い
チームは最終的にはシーズン19位でフィニッシュ。
無双していたスラム少年時代
子供の頃にロマーリオと一緒にプレーをしていたおじさんのインタビュー動画
ヴァスコダガマの下部組織出身のロマーリオ
9-0で勝利したポンチプレッタとの試合で全得点を決めたり、ひとりで11ゴール決める試合もあったとか。
当時の無双ぶりや貧しい少年時代のエピソードを語る
ちなみにブラジルでは、昔どこどこでサッカーをやってた、だれだれと一緒にプレーしてた等
この手のおじさんはよく居て、その辺のバーで飲んだくれてるオヤジがメチャメチャサッカーうまかったりする・・・・
私は昔いつも通っていたレストランの芋洗坂係長みたいなオヤジが元パルメイラスの選手で、ボール持たせたらロナウジーニョばりのリフティングを見せられて度肝を抜かれたことがある。
【伝説の名言】ペレは黙っていれば詩人なのに
2005年のこと。この数日前にペレはロマーリオに対して引退するべきとコメントしていた。
記者にペレがこんなこと言ってますけど?ときかれた場面。
ペレはあとなしくしてりゃ詩人なのにね。いちいちペレの言う事に反応するつもりはない。ペレは本当クソみたいな事しか言わないのはみんなわかってるはずだ。やつは人の事ばかり気にしてないで、もう一度自分の人生の心配だけしてればいい。俺はいつだってペレは史上最高の選手だと言っていたが訂正しなきゃダメだ。口にサンダルを入れておかなければならなかった。その方が彼の為だ。
さあ実際の発言をみてみましょう!これがロマーリオの伝説の名言の証言VTRだ!!!!
ペレは黙ってれば詩人なのにはポルトガル語でPelé calado é um poeta(英訳 Pelé shut up is a poet)と言っています。
ロマーリオ独特の言い回しで行った後に記者が笑っていますね。
このフレーズは即興で思い浮かべたそうです。
数々の名言を残してきたロマーリオですが、”ペレは詩人”最もお気に入りと語っております。
ちなみにロマーリオはその後ヴァスコダガマへ移籍し2005年シーズン40歳にしてリーグ得点王になっている。
代表合宿のホテルから脱走
94年ワールドカップの南米予選でブラジルはかなり苦戦を強いられていました。
そしてこれを勝てば本大会出場決定という大一番の試合があり、相手は強敵ウルグアイでした。
ロマーリオが試合前に、”俺を試合に出せば必ず2点とる”と公言し見事にそれを実行したことはサッカーファンの間では有名な話ですが
実はこの大一番の試合前日に代表のホテルから抜け出していたことを告白。
ホテルを抜けてどこへ行っていたかというと、別のホテルへ行っていたそうです。
しかしロマーリオがホテルを脱走したことはこれが初めてではなく、例えばコパアメリカの時のボリビア戦の時や、なんと94年W杯の大会中も何度か抜け出したことがあるそうです。
ちなみにブラジルサッカー協会は、このように選手達がホテルから抜け出さないように宿舎に女性を呼ぶことを許可していたとか。
監督の奥さんと浮気して代表を外される
1985年のU20のワールドユースの事です。当時ロマーリオは19歳
ロマーリオは直前に代表から外されて大会に出場することができませんでした。
外された原因は当時オフィシャルでは、合宿中のホテルの廊下を全裸でいるところを見つかったからだと報道されておりました。
しかし最近になって、ロマーリオ本人や関係者の証言により外された本当の理由が明らかになったのです。
その理由とは、なんとロマーリオとミューレルとデニウソンらが監督の奥さんにちょっかいを出したからでした!
当時U20代表はリオのコパカバーナのホテルに滞在していました。
そしてホテルの下を歩いていた女性に対し3人がナンパし始めてホテルの部屋に連れ込むことに成功!
その現場を監督自身に見つかってしまったのす。
ロマーリオ自身によると、俺はその時ちょうどトイレに行っていなかったんだけど、なぜか俺だけ代表から外されたとのこと。
ロマーリオは当時のGilson Nunes監督のことを、最もソリの合わなかった監督としてたびたび挙げておりますが、この世界大会に出場できなかったことを今でも相当根に持っているようです。
スタジアムや飛行機の中どこでもセックス
なんとスタジアムのロッカールームでセックスしたことがあるとGlobo紙のインタビューで答えています。
こともあろうか、ブラジルサッカーの聖地とされるマラカナンスタジアムです。
ヴァスコダガマでプロになったばかりの頃の話、対コリンチャンス戦の時だったそうです。
試合後ドーピングの尿検査のため居残りしていたロマーリオ。
部屋のすぐ外では当時の恋人が待っていて、そこには彼女と警備員しかいなかったそうです。
それでロッカールームの中に呼び込んでやっちゃったそうです。※ ユニフォームとスパイクは脱いでいた。ちゃんとシャワーは浴びていました。
続いて飛行機の話です。
これはロマーリオが代表入りたてで選手として搭乗していた時の話だそうです。
遠征でスイスへ行った時のことどうやらスチュワーデスさんとやってしまったようです。
詳細については教えてくれませんでした笑
伝説7のインタビュー動画↑でその時の様子が語られています。(2:00から)
ドゥンガとの友情
常に行く先々でトラブルを引き起こしてきたロマーリオですが、ジュビロ磐田でもプレー経験のあるドゥンガとは仲良しでした。
ドゥンガとロマーリオは87年にヴァスコで一緒にプレーしておりました。
連日ヴァスコが大量得点により無双していたある日のこと、本拠地São Januárioスタジアムでミーティングが開かれました。
当時のチームの先輩格であるRobertoとTitaという選手が”新人でもっと走らなきゃならねえやつがいる”と発言
新人とは暗にロマーリオの事を示唆しています。
そこで同じく新人であったドゥンガが先輩たちに対してこう言いました。
新人っていうのがロマーリオの事を言っているのなら俺に彼の分まで走らせればいいんだ。なぜならロマーリオは点を取りまくってるんだから
このエピソードをロマーリオはよく覚えており、以来二人の信頼関係は確固たるものになりました。
二人はセレソンではたびたび言い争っていましたが直で言える仲との事。
ロマーリオはドゥンガの事をセレソンを知り尽くしている数少ない人間の一人とも語っています。
ちなみに94年にブラジルがワールドカップで優勝できたのは、当時チームのキャプテンだったドゥンガが問題児ロマーリオをしっかりコントロールできたおかげもあると言われています。
父親が誘拐されて犯人に対して逆脅迫
94年ワールドカップの開幕直前にロマーリオの最愛の父親エデヴァイール・ファリア氏がブラジルで誘拐されるという事件が発生しました。
22時頃近所のバーで食事していると頃を武装集団に囲まれたそうです。
誘拐犯はロマーリオ側に身代金700万ドル、当時のレートで約7億円を要求した。
この要求に対しロマーリオは”犯人に告ぐ、今すぐ父親を解放しろ、さもなければ俺はワールドカップに出ない”となんとメディアを通して発信しました。
逆ギレならぬ逆脅迫です!
この発言を受けブラジル全土が、ロマーリオがワールドカップ出なかったらマジやばいっしょとなり、僅か6日でスピード解決となりました。
この出来事の詳細についてはこちらの記事にかいております↓
エジムンドと伝説のラップ作品を発表
最後はおまけです。
ロマーリオとエジムンドと言えば犬猿の仲として有名ですが、二人がまだ仲良しだった頃
Bad Boysという伝説のラップ作品を残しています。
聴いてるとジワジワくる。。。。。
レレレレオー
レレレレアー
バッドボーイがお前のチームでおっぱじめるぜ!
俺たちゃバッドボーイだがそんなことは関係ねー
みんなと一緒にこのラップを唄ってお前も知るんだこれは俺たちバッド・ボーイコンビのメッセージなんだ
俺はJacarezinhoを出た
俺はNiteloiを出た
ロマーリオとエジムンドがお国のために平和を訴えるぜ
暴力を辞めろ ケンカをするんじゃねぇ
おいみんな、俺は3度のチャンピオン、バッド・ボーイのホマーリオだ!フラメンゴの得点王だぜ俺はエジムンド、Niteloiのバッド・ボーイ
ヴァスコやパウメイラスでフェスタをやってやったぜ 俺はヒーローなのさ
サッカーをやってる。なぜなら好きだからさ!愛してるからさ!
俺の友達エジムンド、俺はお前の見本になってやるよロマーリオは俺の友達さ 俺はアニマル・エジムンド
お前と一緒に学んでいくぜ お前は俺の理想的なマスターだからなゴールすることが俺たちの生きがいなのさ
お気に入りの場所はViajandaoのキヨスクだぜ
野郎どもが集まる場所なのさ
いかすフットバレーやパゴージがあるのさみんな俺が今から言うことに注目しな
このチームはお前らにとって最高だ 俺は唄う
Ronaldo Pedambo Gaiucinho Ciro Pato Piloto Rapazao Robertinho俺はストリートやファヴェーラでは有名だ
俺はBarra da Tijucaに居るぜ そして地元を死ぬほど愛してるのさ
という訳でロマーリオの伝説を12個紹介してきました。
彼については他にも、以下のようなエピソードが語りきれないほどありますが
続きはまた次の機会で
・生涯1000ゴール達成
・公式戦でのハットトリックは63回
・ヒディング以外のすべての監督ともめる
・自分が推薦して監督になったレナト・ガウショとももめる
・ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督をチームから追い出す
・その後ルシェンブルゴは代表の監督となりロマーリオの召集を拒否していたが、サッカー協会が無理やり召集
・その試合でハットトリック
・PSVを退団した1つの理由は「寒いから」(イングランドやイタリアからのオファーを断る理由も同じ)
・しかし「暑いから」という理由で試合中サボっていた事を公言した事もあり
・その試合は2アシスト。ともに屋根の影からでたくないゆえ、中央付近からのスルーパス
・バルセロナ入団の時に30ゴールを保証
・同じ年のW杯予選ウルグアイ戦では2ゴールを保証
・ともに宣言通りのゴール数を決めた
・自身でナイトクラブを経営するほどの無類の夜遊び好きも15歳以来酒は飲まない
・人生の中で怖いものは飛行機、犬、魚の骨
・試合の日以外は所在不明となる事が度々
・しかし試合の日には現れて貴重なゴールを決めていた
・仕方がないのでチームもロマーリオのサボりに「科学的な」理屈をつけて擁護した
・カーニバルの時期に練習に行ったら、それがニュースとなった
・バルサ時代は例外的に練習熱心で、練習開始の5分前にはかならず現れていた
・しかし練習終了1分後には消えていた
・一度だけ練習に遅れて、クライフから「罰金かハットトリックか」と迫られハットトリックを達成した
・フラメンゴに移籍金するためにバルサの召集期限を無視して、自分の移籍金を自分で集めた
・エジムンドとPKでどっちが蹴るかでもめてガチ喧嘩
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