川崎のジャジエウ
アトレティコMG時代はなかなか定位置を見いだせず不遇の時代を過ごしていたようです。
そんな彼がJ2年目にして既に5つのタイトルを獲得し、更には自身もベストイレブンにも選出された事により自信を取り戻したようです。
アトレティコMGを退団した2年とちょっと前の時には、ジェジエウ自身、こんな短期間に自身が主力となり勝利にあふれた軌道を構築するなどとは想像もしていなかった。昨シーズンはベストイレブンに選出され、つかの間のオフを挟み再び日本へ。そして今週土曜日には再びトロフィーを掲げた。実に川崎で5つ目のタイトルである。
セロックス・スーパーカップは前年のJリーグチャンピオンと天皇杯チャンピオンとの対決が行われるが、昨シーズンはジャジエウのチームが二つを制した為、Jリーグ準優勝のガンバ大阪との試合が行われた。
しかしゼロックスの前に川崎は2020年シーズンと変わらぬスタイルで、既に2021年シーズンを始動していた。ジャジエウは同僚で元インテルのレアンドロ・ダミアンと共に、元日に行われた天皇杯でガンバ大阪を1-0で下し、チームのタイトル獲得に貢献していたのである。
天皇杯初制覇もそうだが、我々にとっても、クラブにとっても重要なこれらのタイトル獲得は、前例のない偉業なんだ。Jリーグで結果を出せたように、クラブの歴史に名を刻めて非常に満足のいく結果でした。タイトル獲得というのは、クラブにとっても私のキャリアにとっても、非常に良いことです。
元旦の試合の後、ジャジエウはブラジルへ帰国し、故郷で家族や友達と数日間を過ごした。ジャジエウの故郷はテオドロ・サンパイオ(Teodoro Sampaio)という、人口23000人のサンパウロ西部に位置する地方都市だ。バカンスはほんのつかの間で、1月前半中に帰らなければならなかった。コロナによる自宅待機の期間に加え、チームはゼロックスや開幕戦の日程が既に決まっていたからだ。チームは翌金曜日には横浜Fマリノス戦を控えている。
オフ期間が非常に短った事は当然の事である、というのは昨シーズンの川崎フロンターレの軌跡を知る人であれば、想像に難くない。それは全てにおいて混乱をもたらしたあのコロナの影響という訳でもない。2020年のリーグ戦はクリスマスの6日前に終了した。しかし川崎は4節を残し、既に1カ月も前にしてタイトルを決定づけていた。
フロンターレは34試合で勝ち点83(26勝3敗5分)で得点はリーグ最多の88ゴール、失点も2番目に少ない31ゴールだった。チームの歴史的快挙に加え、ジャジエウ自身にも特別に嬉しい出来事があった。2020年Jリーグのベストイレブンに選出されたのである。
2020年の僕のチームは、個性豊かでかなりリードをしていた。常にボールを持ってプレーすることを意識していた。先制点を奪っても、もう一点を狙う。我々はそういうメンタルを持ち、維持し、落とさなかったんだ。今年はもっと上のレベルのプレーをみせれるといいね。
2019年にアトレティコMGからフロンターレへレンタル移籍(その後完全移籍)した直後、最初のステップは適応とチームで定位置を獲得することだった。リーグ制覇をすることはできなかったが、新チームにてカップ戦にゼロックス杯に勝利することができた。
日本に来て初めての年は、慣れる事たくさんあって、変わった年だった。クラブやブラジルとは全く違う文化を知った。しかし2019年は、もう既にエクセレントな年だった。そして2年目の年は、よりリラックスすることが出来、日本にもクラブにも慣れ、とても良い年だった。そしてそれに結果も伴ってきたんだ。
ブラジルのアトレティコMG時代。ジャジエウはジエゴ・アギーレ監督(Diego Aguirre)に見出されトップチームに昇格したが、パラナクルービ、ミラソル、ブラガンチーノといったクラブにレンタル移籍することとなる。ジャジエルは言う。いつか母国に帰る事は夢見ているものの、今は日本サッカーで歴史を築き、新たな章を作っていく時であると。
今はブラジルに戻る事は考えていない。ここにいれてとても幸せだし、まだまだチームでタイトルを獲っていきたいね。
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