横浜Fマリノスで大活躍中のマルコス・ジュニオールですが
ブラジル時代に所属していたフルミネンセのトップチームに定着したのは2012年頃です。
そして、それまでの道のりは決して容易いものではなかったそうで
19歳の時に語っていた、当時の苦労話のインタビュー記事の内容を紹介します。
15歳で親元を離れ田舎暮らし
フルミネンセはブラジルのリオデジャネイロに拠点を置くチームですが
マルコスはリオの出身ではなく、およそ1000km離れた首都ブラジリアの出身でした。
ブラジリア出身のサッカー選手と言えば、元ブラジル代表のカカや元浦和のワシントンなどがいますね。
そしてマルコスはフルミネンセの下部組織でプレーする為、15歳の時に親元を離れリオのシェレーン(Xerém)という小さな町に移り住みます。
ちなみにシェレーンからフルミネンセのトップチームの練習場までは、車で1時間ほどかかる距離ですが、マルコスはプロ契約した後もしばらくこのシェレーンに住み続けていたそうです。
また、15歳という多感な時期に、家族と遠く離れて暮らすことに相当つらい思いをしたそうで
週末になると仲間たちが親子で出かけるのを見ると悲しい気持ちになり、気を紛らわす為に独りでボールを蹴っていた、とも語っています。
お金がなくて親が応援にを観に来れない
ある時ユースの大会で、フルミネンセは決勝戦で宿敵フラメンゴに敗れていしまいました。
試合後のインタビューで、父親が金銭的理由により試合に駆け付けられなかった事を涙ながらに語る映像が、後にブラジルで話題となりました。
マルコス18歳の時のインタビュー動画みつけた。
マルコスはブラジリア出身。フルミネンセのあるリオデジャネイロまでは1000km以上。小さい頃から親元を離れ寮に入ってプレーしていた。お父さんはタクシー運転手として働いていたが、なかなか息子のプレーを観に行くことができなかったらしい https://t.co/8B7cNVFbdS pic.twitter.com/PmMTDNcb1m— バモスアオブラジル (@camisa8BRASIL) February 1, 2021
ちなみにお父さんはコリンチャンスファンなのだそう。。。。
私財をなげうって生活費を工面した極貧生活
ユースでプレーしていた時代の事、マルコスは慢性的なケガに悩まされました。
専門家に精しく診てもらったところ、鼠径ヘルニアの手術を行う必要がありました。
これによりマルコスは7か月間ピッチを離れる事を余儀なくされたのです。
この時期にマルコス少年の支えとなった2つの要素があったと言います。
1つは父親アントーニオ(Antônio)さんと叔父のアレシャンドレ(Alexandre)さんの励ましの言葉
そしてもう一つは母親フランシネチ(Francinete)さんの勇気ある行動です。
なんとフランシネチさんはブラジリアでの仕事を辞め、生活の全て投げ出して、ポケットに一か月分の家賃を入れて息子マルコスを支えにリオまでやって来たのです。
彼女はいつだって僕の為に闘ってくれる。僕の側にいる為に全てを投げ出してきたんだ。当時はとても複雑な時期だったけど、彼女は僕を支え、力を与えてくれる事を決して止めなかった。今はただ恩返しをしたいね。いつか母の為に家を買ってあげるつもりだ
なお当時の生活は相当困窮していたらしく、お金を工面する為にとにかく必死であったと。
時には、肌身離さず身に着けていたお気に入りの帽子さえも売らなければならなかったのだとか
こういう事を語るのは恥ずかしくはない。これは僕の歴史、そして人生の一部なのだから。
母は仕事を見つける事ができなかったんだ。お金を得てもそれは家賃へ回していた。それでも滞納していたけどね。
僕は合宿所でご飯を食べる事ができたが、母は家でつらい思いをしていたんだ。
僕が200レアル(当時のレートで約8000円)で買ったベースボールキャップを、ある時に道端にいた少年が欲しがってね。なんとか50レアルで売る事ができ、それで米とフェイジャオンと生活必需品を賄えたんだ。
今日は神様のおかげで何も不自由していないよ。
デコにいじられる
マルコス・ジュニオールのプロデビュー戦はセンセーショナルでした。
リオカップのマカエー戦、マルコスはこの試合に途中出場し、なんとファーストタッチでゴールを決めたのです。
その時の様子がこちら↓
これが決勝点となり、フルミネンセは2-1で見事勝利!
試合後のインタビューで、興奮冷めやらぬマルコスはこのように語りました。
Minha função era “entrar e resolver”
この試合の僕の役目は途中から入って試合を決める事だったんだ
resolverという動詞は”(問題などを)解決する”などという意味ですが、サッカーにおいては”試合を決定づける”のような意味があります。
この発言が当時フルミネンセにいた偉大なる先輩でデコにいじられる要因となったのです。
フルミネンセは決勝でボタフォゴを4-1で破り、この大会見事優勝!
マルコス自身も決勝でのゴールを含め、4ゴールと大活躍をしました。
まさにマルコスの力で優勝を決めてしまったのです
以来デコから”勝負を決める男”という意味でヘゾウビ(Resolve)と呼ばれるようになりました。
このエピソードはフルミネンセではちょっとした有名な話となっているようで、WIKIにもそのように書いてます。
一種の冗談だね。みんなもう忘れてたのに。デビュー戦でゴールを決めた後、勢いでバカな事言っちゃったよ。 デコはいつもいじってくるんだ。クラブハウスへ行くと”ようヘゾウビ元気かい?今日も決めちゃう?笑”とか言われてさ。どうすりゃいいの?黙って聞くしかないよね。けど彼は偉大な選手だから、彼の話や経験談を聴けることは、光栄に思うよ。
横浜Fマリノスのサポの方はスタジアムでResolveというメッセージを掲げていれば
”あーこいつわかってんな~”とマルコスに振り向いてもらえるかもしれませんね。
本名はジュニオールではなく、ジュニオ
最後におまけですが、いろいろとインタビュー動画をあさっていると
どうもマルコスの本名はJunior(ジュニオール)ではなく、Junio(ジュニオ)が正しいという事がわかりました。
本人曰く、フルミネンセが勝手にRを足してジュニオールにしたんだとか↓
横浜Fマリノス マルコス・ジュニオールさん
本当はジュニオール(Junior)じゃなく
ジュニオ(Junio)らしいフルミネンセが勝手にrを足したんだとか pic.twitter.com/1lSKSih0Kg
— バモスアオブラジル (@camisa8BRASIL) July 1, 2021
確かに正式なIDの名前もJUNIOになっていますね。
また2011年~2013年までフルミネンセを率いていたアベウ・ブラガ(Abel Braga)監督からはマルキーニョス(小さいマルコス)とも呼ばれていたそうです。
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