中国の山東泰山へ移籍したレオナルドがガゼッタ・エスポルチーバ紙のインタビューに答えました。
コリンチャンス時代に夜遊びが原因でフロントと揉めたことや、サントスではサイドバックにコンバートされた事など初めて知りました。
契約期間は5年、移籍金は200万ドル(約2億1000万円)、今週中国強豪の一つである山東泰山はレオナルドの獲得を発表した。
レオナルドはサントスやコリンチャンスでは定位置を掴むことはできなかった。日本では浦和ではチーム得点王、他に新潟、鳥取でプレーし、中国ではモイゼス(Moisés)やロジェル・ゲデス(Roger Guedes)らとプレーすることとなる。
23歳のレオは日本で素晴らしい平均ゴール数をキープした。ガイナーレ鳥取では31試合23ゴールでJ3得点王、翌年アルビレックス新潟でも38試合28ゴールでJ2得点王。Jリーグ史上初となる2年連続得点王となった(※ 大久保がJ1で3年連続得点王となっている)
2020年J1の浦和レッズでは29試合13ゴール。山東泰山に加入するまで、実に3つのカテゴリーを経て、合計99試合65ゴールを生み出した。
ブラジルではレオはサントスやコリンチャンスの下部組織で注目を集めたが、トップチームに昇格することはできなかった。2016年~2017年 サントスのU20において33ゴール30ゴール、特に2016年はCopa RS(ブラジル南部リオグランデドスウ州のカップ戦)において大会得点王、州リーグでは得点ランキング2位だった
コリチャンスでは2013年U17、2015年U20で優勝。以下のような大会で得点王となったようにそのゴール数は際立っていた
・2014年コパドブラジルU17
・2012年ベロオリゾンテカップU17
・2012年のナイキカップU15
そしてサントスやコリンチャンスの他、レッドブルーブラジル(2011年)、イトゥアーノ(2015年~2016年)、リオヴェルジ(2017)に在籍したこともある。
ブラジルでの最大のスランプはサントス時代に起きた。これまで決めてきたゴール数は十分はなく、4回参加したトップチームでのトレーニングでドリバウ・ジュニオール監督(Dorival Júnior)により右サイドバックでプレーさせられたのだ。
レオは、現場の人間ではなく会長のこうした決定は若い選手の成長を妨げると考える。
ブラジルではよくある事だ。ブラジルでは良いサッカーが求められて、数字を出しても無意味だからね。決めるはその時の会長なんだ。チームに最も利益をもたらす選手が選ばれるのさ
またコリンチャンスでは夜遊びが原因でフロントとの関係が悪化したこともあった。
コリンチャンスでその件については俺が悪かった。サッカー選手としてのモラルはこの、キャリア10年でもう全て認識している。サントスでU15から昇格させる選手を選ぶのはクラブの管理なんだ。俺は理解できなかった。U20ではチームの成績は良くなく、有望な選手も少ない中でゴールを量産してきたのに。Bチームにすらあげてもらえなかったので、俺は他チームへ移籍せざるを得なかった。サントスはだいたいコパサンパウロ杯(ブラジルでプロの登竜門と言われている大会)の前にトップチームに昇格させるんだが、チームのエースだった俺はユースチームに残った。カップ戦の後に昇格させると言われていたが、それは叶わなかった。
ブラジルでのスランプを経験し、レオは母国に戻るつもりはない。唯一の考えはまた日本でプレーをすることだ。
俺の目標は中国で良いシーズンを過ごし、その後また日本へ戻ることだ。自分が大好きになった国であり、向こうで始めた事を終わらせる為に戻りたいんだ
レオの代理人であるマウリシオ・シオジン氏(Mauricio Chiodin)もサントスは再び若い芽を摘んでしまったとみる。
レオは、己の才能を信じ遠く離れた異国で才能を開花させた選手の良い例だ。サントス時代は圧倒的なゴール数でユースの得点王だった。トップチームでサイドバックとして練習に参加させるなど、通常ではありえない。彼がそれに気づいて、日本の3年間で早くに証明できたのは良かった。ユースで不遇な扱いを受けたのは彼だけでない。クラウジーニョ(Claudinho) 他のチームで居場所を見つけポテンシャルをみせつけなければならないんだ。
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