浦和レオナルドの経歴をWIKIよりも詳しく解説【帰化して日本代表も視野】

浦和レッズのレオナルド帰化 Jリーグ

J3、J2で連続得点王を獲得、今季から加入した浦和のレオナルド

一体どんな経歴を持った選手なのか?調べてもあまり情報が出てきません!

という訳でブラジル母国のサイトをくまなくチェックして、その評価を解説していきます。

レオナルドはブラジルではレオ・ソウザとして知られています。

浦和レオナルドのインタビュー

本名 Leonardo Nascimento Lopes De Souza
生年月日 1997年5月28日
出身地 ブラジル サンパウロ州ソロカバ市
身長/体重 180cm 71kg

レオナルドの経歴

日本へ来る前に所属していたチームはざっとこんな感じです↓

所属クラブ
2006年 – 2009年 Macalé
2009年 – 2011年 Manchester
2011年 – 2012年 Red Bull
2012年 – 2016年 Corinthianas
Ituano(loan)
2016年 – 2017年 Santos
2017年 Rio Verde(loan)
2017年 – 2018年 ガイナーレ鳥取
2018年 – 2019年 アルビレックス新潟
2019年 – 浦和レッズ

レオナルドが生まれたのはサンパウロ州にあるソロカバという街です。

人口60万人規模の衛星都市です。地元ではトヨタの工場がある事で有名ですね。

小さい頃からサッカーが好きだった。周りの子と同じように自分も将来サッカー選手になりたいと思っていたんだ。そして9歳の時に父親がMacaléというクラブに連れて行ってくれた。そこには12歳までいて、その後Manchesterというクラブへ移ったんだ。Manchesterには14歳までいたよ。

2つのクラブを経て2011年にRed Bull というクラブへ入団します。

そして2012年、U15のブラジル杯であるTaça Votorantimという大会に出場し活躍した事が名門クラブのスカウトの目にとまりました。

その名門クラブとはコリンチャンスです!

ちなみにレアルのヴィニシウスもこの大会で活躍しコリンチャンスがアプローチしてきました。

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以降様々な大会において無双

2012年にはサンパウロの州リーグでも得点王になりました。

ユースのカテゴリーとは言え、サンパウロ州のリーグは結構注目度は高いです。

2012年というと15歳の時には36試合58ゴールという驚異的なスコアをマークし

メッシやネイマールと比較されるほどの逸材でした↓

さらに2014年にはクラブのU17国際大会に出場し、決勝でレアルマドリード破れ準優勝。

ちなみにこの時のレアルには、現在トップチームで活躍するボルハ・マジョラルがいました。

コリンチャンスには4年在籍しました。途中6カ月間Ituanoというクラブに貸し出されもしましたが

契約終了後サントスへ移籍します。

昔からサントスのファンだったんだ。契約した時は本当にうれしかったね。迷うことなく移籍を決意したよ。サントスへ来てチームのみんなを驚かせてやりたいと思う。

当初サントスに来た時、俺は周りよりも体脂肪が高く足が太かったんだ。それをフィジカルコーチのGustavo Jorgeのおかげで改善することができた。またMarcos Soares監督の指導やチームメイトのアドバイスのおかげで、ピッチの中でも外でも成長することができたね。

ピッチの中の目標はサントスに来てトップチームに上がり歴史をつくりたい。その次にブラジル代表を目指すんだ。ピッチの外では、小さな子のお手本となるような立派な人間になりたいね。大学へ行って体育の勉強をすることも考えているんだ。いつの日か教師やサッカーのコーチになるかもね。

はじめはサントスのU20のチームでプレーしてました。2軍ですね。

そして新天地サントスにおいても着実に結果を残します。

リーグ戦得点ランキング2位、そしてカップ戦では得点王に

2016年には33試合29ゴールという好記録を残します。

にも関わらず、レオナルドはトップチームに昇格することはできませんでした!

チーム最多の得点を記録するも、結局トップチームに昇格できたのはMatheus Oliveiraのみでした。

翌年2017年には1つ上のカテゴリーのU23チームでプレーしますが、すぐにゴイアス州のRio Verdeというチームへレンタルされます。

当時サントスを率いてたドリヴァウ・ジュニオル監督は何を考えているんでしょうね

チームの状態はいいとは言えなかった。しかし我々はチームを降格の危機から救うことができた。

とRio Verde時代を本人は振り返っておりますが、以降どんなに活躍をしてもレオナルドがサントスのトップチームでプレーする機会はありませんでした。

岡野GMとの出会い ガイナーレ鳥取へ移籍

そんな折、サントスの保有権が切れる6か月前のことでした。

ガイナーレ鳥取のGMを務めていた野人岡野が、チームの補強選手獲得の為2泊4日の弾丸スケジュールでブラジルを訪れていたのです。

その結果、サントスの4人の候補者からレオナルドとヴィートル・ガブリエルが選ばれ、仮契約を結んだのです。

しかし、サントスのエリートであったレオナルドがなぜ日本3部のクラブへ?

そのいきさつについて岡野GMはこのように語っております↓

ウチが日本の3部でお金もあまりないことは、もちろん伝えました。それでも彼らは『ボールさえあれば、平和な日本でサッカーがやりたい』と言うんですね。彼らが暮らしていたのは、人身売買や殺人が日常化している治安の悪い地域でした。そこから何とか抜け出して、サッカーできちんと生計を立てて、いずれは親族を日本に呼びたい。そんな彼らの心意気に胸を打たれましたね。

これは岡野さんグッジョブですね!

スパイクや背番号や家族について

レオナルドはスパイクは珍しくアスレタ(ATHLETA)を愛用しているようです

レオナルドは背番号9に非常に強いこだわりを持っています。

自身の腕に9とタトゥーを彫っているほどです!

背番号9にこだわる理由、それは憧れのロマーリオがつけていた番号だからです

鳥取では9番、新潟でも9番をつけることができましたが、残念ながら浦和には武藤が既に9番をつけているので45番を背負うことになりました。

レオナルド背番号

なぜ45番?というと4+5で9だからだそうです^ ^

家族はサントス出身のカシア婦人(Kassia)と息子のマルセリーニョくんがいます。
マルセリーニョくんは2018年に鳥取で誕生しました。

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SNS世代のレオナルドは度々家族の写真をインスタにアップしております。

こちらでレオナルドのインスタグラム翻訳しております↓

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帰化して日本代表も視野に

2018年にJ3得点王、2019年にもJ2得点王を獲得し、日本のサッカーにも生活にも順応してきました。

2019年11月頃にはブラジル紙のインタビューでこのように語っています↓

シーズン最多得点をとれたことはサッカー人生の中で最も嬉しいね。サントスを出て以降最高の出来だよ。自分ならいつか結果は出せるとずっと信じていた。ただチャンスがなかっただけなんだ。未だに何故サントスが契約を更新してくれなかったのか理解できない。トップチームの練習に参加することさえできなかったんだ。話し合いもなしに、サントスとはそれっきり。だってまだ1年のチャンスが残っていたのに、それを潰されたんだよ。2つの大会で得点王になったにもなったったのに評価されなかった。。。。
日本はとても気に入っている。寒さを除いては、早く順応できた。一番やっかいなのは雪だね。今までこんな環境で練習したことなかったから。もし今後長くここにいるようなら、帰化して日本代表としてプレーすることも考えている。僕の今後のプランは、各カテゴリーで3年連続得点王になること。そして日本代表に招集されることさ。今のところブラジルに戻るつもりはない。この国にとてもフィットしている。ここで成長して、キャリアを築いて認められたいね。

サントスで不遇の時代を過ごしたことを怒りのバネにして日本で活躍することができたのですね。

日本は相当気に入っているみたいですね。

という訳でレオナルド帰化のニュースは日本にも報じられましたが、ガセではないことがわかりました。ちゃんとブラジルのインタビューに答えています。
浦和レッズのレオナルド帰化

さらに、レオナルドの義母にツイッターでコメントを頂いたのですが、このように書いてありました↓
レオナルド帰化日本代表


こんんばんわ。レオは日本語を勉強していてすぐに現地の言葉で会話できるようになるわよ。レオは日本人に帰化して代表でプレーしたがっているわ。彼の息子も日本で生まれたのよ。

帰化して日本代表入りを真面目に考えているようですね!

身内からの情報はなかなか説得力があります。

という訳で今回調べてみてわかったのは

もともと日本では無名であったものの、ブラジルではユースのカテゴリーで一定の結果を残していた有望株であること

J1でも得点王目指してレッズで頑張ってほしいです!

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