浦和レッズ応援していますバモスアオブラジルです。
ポルトガル語を使った仕事としてJリーグの通訳は憧れの職業ですね。
しかもそれが自分の憧れのチームであったら最高極まりない仕事ですね。
今回は我が浦和レッズの歴代通訳のまとめ記事を作成してみました↓
監督 | 年 | ドイツ語 | ポルトガル語 | その他 |
森孝慈 | 1992年 | 山内直 | ||
森孝慈 | 1993年 | |||
横山謙三 | 1994年 | |||
ホルガー・オジェック | 1995年 | |||
ホルガー・オジェック | 1996年 | |||
ホルスト・ケッペル | 1997年 | |||
原博実 | 1998年 | |||
ア・デモス 吉田靖 |
1999年 | |||
斉藤和夫 | 2000年 | |||
チッタ ピッタ |
2001年 | バリ・アレシャンドレ 白沢敬典 |
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ハンス・オフト | 2002年 | バリ・アレシャンドレ ジョニー石橋 |
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ハンス・オフト | 2003年 | 山内直 | バリ・アレシャンドレ 棈松マルシオ |
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ギド・ブッフバルト | 2004年 | |||
ギド・ブッフバルト | 2005年 | |||
ギド・ブッフバルト | 2006年 | |||
ホルガー・オジェック | 2007年 | |||
ゲルト・エンゲルス | 2008年 | 山内直 モラス雅輝 |
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フォルカー・フィンケ | 2009年 | |||
フォルカー・フィンケ | 2010年 | |||
ゼリコ・ペトロビッチ | 2011年 | 林雅人 | ロドリゴ・シモエス | |
ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2012年 | 杉浦大輔 | ||
ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2013年 | |||
ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2014年 | |||
ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2015年 | |||
ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2016年 | |||
ミハイロ・ペトロヴィッチ | 2017年 | |||
堀孝史 オズワルド・オリヴェイラ |
2018年 | 羽生直行 | 江徳智揚 | |
大槻毅 | 2019年 |
※ 加筆修正ありましたらご指摘いただけると幸甚です。
それでは年代順に一人一人解説していきたいと思います。
山内直
生年月日 | 1962年 |
出身 | 新潟県新発田市 |
浦和レッズ通訳期間 | 1993年~1998年、2003年~2011年頃 |
浦和レッズで長きにドイツ語の通訳を務められました。
ベッケンバウアーが三菱自動車の招待で日本に来た時に通訳を務められた凄いお方です。
山内氏は高校卒業と同時に指導者を志しドイツへサッカー留学へ
その後帰国し日本企業へ就職し、三菱自動車の業務担当を行っていたのが浦和レッズとの縁でした。
Jリーグ創設時に西ドイツのゼップ・マイヤーGKコーチの通訳としてスタート
その後ラーン、ルンメニゲ、バイン、ブッフバルトら往年の名選手をサポートしてきました。
中でもオジェック監督の専任通訳としての始まりは、さかのぼること1994年
当時リーグを低迷していた浦和の社長から、”ドイツ人の良い監督を探してこい”の命を受けドイツへ出張に
そこでビンフリード・シェーファー、ハーバート・ヌーマン、フィンケら監督候補に面談をしますが、最終的にオジェックに決定
誰が通訳をやるか?の話になった際に”契約も君が全部通訳したんだから、そのままやってくれ”の一言で専任通訳へなったといいます。
オジェック監督から唯一の要求として、監督が怒れば自分も同じように感情を露にする、いわゆる一心同体の通訳を求められたそうです。
そのようにした結果、当時のGKの土田尚史からは相当恨まれたとご本人は語っております。
97年にオジェック監督からケッペル監督に交代した際に、現場からフロント入りをし、GM補佐へ昇格します。
そして翌98年のW杯後には一旦レッズを離れることになりますが、その後一般企業やセレッソ大阪などを経て、2003年に再びレッズへ復帰。
初代監督の森孝慈さんからの誘いによるものでした。
早速チームからの依頼を受け、自らのドイツコネクションでギドブッフバルト氏にコンタクト
監督して招聘することに成功します。
レッズがブッフバルト政権で黄金期を築くことができたのは、実は山内氏のおかげだったのです!
バリ・アレシャンドレ
生年月日 | 1959年8月17日 |
出身 | ブラジル サンパウロ |
浦和レッズ通訳期間 | 2001年~2007年 |
Jリーグ黎明期の名古屋でジョルジーニョ等の通訳を経て、2001年に浦和レッズの通訳として就任します。
チッタ監督との確執により一度はチームを抜けていますが、2007年頃まで浦和レッズの通訳として活躍しました。
しかしながら結局通訳より俳優業がやりたくてブラジルに帰国。
詳しくはこちら↓
白沢敬典
生年月日 | 1969年7月26日 |
出身 | 鳥取県倉吉市 |
浦和レッズ通訳期間 | 2001年 |
ガンジーのニックネームで知られ、Jリーグで有名な白沢さんも
実は通訳として駆け出しの頃に、瞬間的に浦和レッズの通訳をしておりました。
期間は2001年のほんの数カ月だけでしたけど。
ジョニー石橋
生年月日 | 年7月26日 |
出身 | ブラジル サンパウロ |
浦和レッズ通訳期間 | 2002年 |
ブラジル出身の日系ブラジル人
ポルトガル語以外にも、TOEIC990点を所持し、英語、スペイン語、日本語を話すマルチ系通訳です。
読売ジャイアンツやヴェルディ川崎の通訳として業界では有名なお方ですが、2002年に一瞬だけレッズにいたことがあります。
棈松マルシオ正人
生年月日 | 1982年1月15日生 |
出身 | ブラジル |
浦和レッズ通訳期間 | 2003年~2010年 |
浦和レッズには2003年から入団
当初はホペイロとしてスタートしました。ホペイロとはチームの用具係です。
そして2004年から2006年まではチームのマネージャーとして活躍
その時にたまたま彼がポルトガル語が喋れたので、当時正通訳だったバリさんのバックアップ通訳としてサポートしました。
あべまつさんは私が以前アルバイトをしていたブラジル料理屋さんによく来られてました。
闘莉王さんやとかなり仲良しでしたね。
闘莉王がグランパスへ移籍したのと同時に、彼も名古屋へ行ってしまいました。
その後ツェーゲン金沢を経て、現在はポルティモネンセの通訳をやっているようです。
モラス雅輝
生年月日 | 1979年1月8日 |
出身 | 東京 |
浦和レッズ通訳期間 | 2008年~2010年 |
海外出身の帰国子女?と思いきや、東京出身の生粋の日本人です。
モラスという姓は、オーストリア出身の継父のペーター・モラスであるとか。
日本の学校で勉強しましたが、16歳でドイツへ単身留学し、なんと現地の高校で生徒会長まで務めたとか。
18歳から本格的に指導者の道を志し、オーストリアやドイツで数々の実績を残しました。
2007年にはザルツブルクのスタッフとして働いており、当時プレーしていた宮本恒靖や三都主アレサンドロの通訳も担当しました。
そして2008年に当初は2ヶ月間のみ、という期限付きでゲルト・エンゲルス浦和レッズ監督の補佐役として入団
その後のフォルカー・フィンケの通訳 兼 浦和レッズトップチームのコーチに就任。
2010年まで浦和に在籍しました。
林雅人
生年月日 | 1977年 |
出身 | 東京 |
浦和レッズ通訳期間 | 2011年 |
日本体育大学卒業後に単身オランダへ留学
フィテッセにおいては5年もの間、プロとして多くの選手を指導しました。
その後、日本ではゼリコ・ペトロヴィッチ監督の通訳として浦和に在籍しておりました。
その後はタイ1部チームの監督や中国2部の浙江省杭州女子足球倶楽部の監督を務め、現在はFC今治U18監督をやられているそうです。
杉浦大輔
生年月日 | 1974年5月11日 |
出身 | 埼玉県北足立郡伊奈町 |
浦和レッズ通訳期間 | 2012年~2017年 |
埼玉の伊奈総合学園サッカー部出身。インターハイにも出場
大学卒業後ドイツへ渡り、4部や5部のリーグにてプレー
選手としてプレーするのと平行して、ケルンの大学にてコーチング学を学んでおりました。
そして広島でミハイロ・ペトロヴィッチ監督のドイツ語通訳を務めることをきっかけに日本へ帰国
そして2012年にペトロヴィッチがレッズ監督に就任したことに伴い、自身も浦和へ移籍しました。
ペトロヴィッチが解任される2017年まで、実に5年もの間浦和の通訳として活躍しました。
ちなみにその後ペトロヴィッチが札幌へ行ったのにも同時に向こうへ移っています。よほど同監督からの信頼が厚かったのでしょう。
ロドリゴ・シモエス
生年月日 | ??? |
出身 | ??? |
浦和レッズ通訳期間 | 2011年~2018年 |
浦和へ来る前は、ジェフユナイテッド市原・千葉などを務めていました。
2011年にブラジル人アタッカーのマゾーラの加入とともに浦和での通訳を担当
ポルトガル語のみならず、英語、スペイン語も扱い、これまでズラタンをはじめとした多くの助っ人外国人選手をサポートしてきました。
イケメン通訳として密かな人気を博するも、オズワルドの解任と共に惜しまれながら浦和を去ることに。
— Rodrigo (@Rod055) May 29, 2019
江徳智揚
生年月日 | ??? |
出身 | 台湾台北市 |
浦和レッズ通訳期間 | 2018年~ |
八千代高校時代に、練習試合などで彼が審判してて試合中めちゃくちゃ文句言ってたのにこんな形で再会するなんて思ってもいなかった。笑ちなみに僕の姉と大学のカレッジメイトで仲良かったみたい
2018年からレッズの強化部通訳を務めておられます。
もともとご自身は審判の道を歩んでいたようですが、フットサルのGKとしてもプレーしていこともあるようで、2014年には東京都1部で見事優勝を果たしている。
専門の言語は英語、スペイン語で神田外国語大学で習得した模様。
更に出身地も台湾とあるので台湾語もいけるという情報もありました。
羽生直行
生年月日 | 1975年10月7日 |
出身 | アルゼンチン ラプラタ |
浦和レッズ通訳期間 | 2019年~ |
現在チームにいるブラジル人選手らをサポートするのが、日本代表監督通訳の経験もある羽生さんです。
羽生直行さんの詳しい経歴についてはこちら↓
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