マルガリーダ【ブラジルの伝説のゲイレフリー】

ゲイレフリー ブラジル

ブラジルに実在した伝説のレフリーを紹介します。

独特なキャラクターから人々に愛され、サッカーの審判員という枠を超え、様々なブラジルの人気テレビ番組にも出演。複数のラジオ局でコメンテーターも務めていた。

ブラジルサッカー界を象徴する人物として認識されている

ゲイレフリー

彼の名はジョルジ・ジョゼ・エミリアーノ・ドス・サントス(Jorge José Emiliano dos Santos)

ブラジルでは通称マルガリーダで知られている。

1954年3月19日 リオデジャネイロ出身

派手なスタイルとユニークなオーバーアクションで人気を博した、ガチで存在したサッカー審判員。

ブラジルで初めてゲイであることを公表した審判員一人であることで有名です。

”一人である”というのは、当時ブラジル国内には

Walter Senra、Bianca、Paulino Rodrigues da Silva、Borboletaなど

80年代~90年代にかけてゲイを公表したレフリーが複数存在したよう。

当時彼らは偏見の目に苦しみ、例えば試合中に選手から殴られて歯を2本失ったりジャッジに納得のいかなかったサポーターから頭に銃をつきつけられたりなどの目に遭ったそう。

それでも決して差別に屈っせず、己を貫き通した事が美談となり記録に残っている。

ちなみに”Jorge José Emiliano dos Santos”で検索するとこの人が出てくる事がありますが、この人は別人です↓

この人はClésio Moreira dos Santosさんという別のゲイレフリーで、エミリアーノさんに影響され自らもマルガリーダと名乗っていました。2代目です。

そんな中でもマルガリーダさんは、その独特なキャラクターを買われて、サッカーの審判員という枠を超え、様々なブラジルの人気テレビ番組にも出演。複数のラジオ局でコメンテーターも務めていた。

如何にブラジル国内で人気があったかがうかがえる。

キャリア

リオのコパカバーナで育ちのマルガリーダさん

審判をやるきっかけになったのは、13歳の時にビーチサッカーの試合を眺めていた事

いつの日か、11VS11のビーチサッカーに呼ばれるようになり、以来各地のイベントでジャッジを務めるようになった。

プロのサッカー審判員としてデビューしたのは1988年

当初は、その”女々しい身体や仕草”から、サポーターから”ホモ野郎”などと侮辱の言葉を浴びせられたそう

しかしながら、同年に自身がゲイである事を公にカミングアウト

この事はブラジルの権威あるサッカー誌であるPlacarのインタビューにも答えている。

いかなる不規律を許さず、リスペクトを要求する

ピッチを離れればゲイかもしれないが、試合中は男である

以来、マルガリーダさんは選手やマスコミ、他の審判からもリスペクトされるようになったのだそう。

事件

そんなマルガリーダさんだが、やらかしも起こしている

1989年の女子サッカーのあるカップ戦での出来事

ジャッジに異議申し立てをおこなった選手につっかかっていき、もみ合いに!

喧嘩はたちまち他の選手やコーチらも巻き込んだ乱闘に発展し、マルガリーダさんはその場を逃げる事を余儀なくされたそう。

後日マルガリーダさんは選手に花を贈り謝罪したとか。

エイズにより死去

同性愛を公言していたマルガリーダさんは、1995年1月21日、エイズによる呼吸不全のため40歳の若さで死去した。

実はマルガリーダさんは両肺に結核を患っており、1992年末に初めて入院して以来、病気にかかっていた。

そして病気の影響で体重は71kgから28kgとなり、エイズのすべての症状が発症したにも関わらず、孤独と世間の差別を恐れて病気を認める勇気がなかったと、後々に語っていたそう

マルガリーダさんの遺体は、ボタフォゴのサン・ジョアン・バティスタ墓地に約80人の参列者のもと埋葬された↓

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